【知っておきたい欧州文化史】魔女の祝宴「ヴァルプルギスの夜」

2019.6.10
 ほうきに乗った魔女が各地から集まり、夜には燃え盛るかがり火の周囲で歌い踊る。ドイツのハルツ地方にあるブロッケン山で4月30日から5月1日にかけて行なわれるという魔女の祝宴「ヴァルプルギスの夜(Walpurgisnacht)」は、今やハルツ地方ではすっかり観光名物と化し、この日には、魔女に仮装した人びとが、どんちゃん騒ぎを繰り広げます。

 北欧から中欧にかけて分布している伝説で、古い異教の風習が残ったものという説もあるようですが、実は、この祭りのイメージが世に定着したのは意外と新しいようです。

◆そもそも「ヴァルプルギスの夜」の起源は?


 オトフリート・プロイスラーの童話『小さい魔女』を子どもの頃に読んだことがある人は多いでしょう。物語は小さい魔女がヴァルプルギスの夜にブロッケン山に行くところから始まります。

 小さい魔女は、ほうきにのってブロッケン山にとんでいきました。
大きい魔女たちは、もう、みんなあつまっていました。髪の毛をなびかせ、上着をバタバタいわせながら、魔女のたき火のまわりを、ぐるぐるおどっています。
ぜんぶで五、六百人も、魔女がいたでしょう。みんな、いりみだれながら、すごいはやさで、ぐるぐるおどりまわり、魔女のほうきをふりまわしました。「ワルプルギスのよーる!」と、魔女たちはうたいます。「ワルプルギスの夜、ばんざい!」

冒頭画像:Amazonより
オトフリート・プロイスラー/大塚勇三訳『小さい魔女』学習研究社、1965年(原書は1957年初版)
(途中適宜省略)

 『小さい魔女』は、多くの言語に翻訳され、世界中で親しまれています。日本でも、この本を置いていない図書館のほうが珍しいぐらい定番の児童文学作品です。

 「ヴァルプルギスの夜」の名前の元となったのは、聖ヴァルプルガ。イギリス出身の高貴な生まれの修道女で、ドイツの地で亡くなっています。5月1日に聖人に列せられたので、この日が「聖ヴァルプルガの日」として祝われていました。

 聖ヴァルプルガについては、「魔術からの保護者として崇拝された」としている文献もあれば(福嶋正純・福居和彦『ヨーロッパ歳時記ドイツの年中行事』八坂書房、2016年)、「ヴァルプルガは中世においてペストや眼病、下半身の痛みなどにご利益のある聖人として人気があったが、魔女とは何の関係もない」としているものもあります。(Thomas P. Becker, Mythos Walpurgisnacht. Anmerkungen aus historischer Sicht, in: Materialdienst. Zeitschrift für Religions- und Weltanschauungsfragen 4/2007, 142 – 148)

 名前の起源にも疑問が残りますが、内容的な起源もまた、はっきりしません。一般的には、キリスト教以前の異教の風習が残ったものであろうとされています。百科事典やヴァルプルギスの夜について解説した一般書のほとんどは、この説をとっています。キリスト教側が布教の過程で、土着の祭りをなくすために、魔女や悪魔と結びつけて忌み嫌われるものにしたのだろうという解釈です。特に、ケルトの春の祭りベルテーン(ベルティネとも)と同一視したような表記や説明がよく見られます。

 しかし、当地でキリスト教の布教に関わった人びとの記録に、新年の祭りはあっても、ベルテーンを思わせる豊穣の祭りが5月1日や春に行なわれていた記録は現れないことから、疑問視する研究者もいます。異教の風習を一掃することが彼らの重要な目標なのですから、布教前の状態と布教後の成果ははっきりと記録に残っているはずなのに、時期的にも内容的にもベルテーンに相当する祭りの記録はないというのです。(前掲Becker)

 何らかの民間信仰がベースにあるのかもしれませんが、よく知られた別々の祭り同士を、時期が似ているからといって安易に結びつけることには慎重になったほうがよさそうです。

 また、ヴァルプルガ崇拝はもともと、ハルツ地方よりずっと南のドナウ川沿岸地方の限られた地域の信仰でした。というわけで、「ヴァルプルギス祭り」「ハルツ地方のブロッケン山」「5月1日」の結びつきをあまり古い時代に求めるのは、ますます苦しくなります。

◆魔女裁判で「自白させられた魔女たち」の告白では……


「ヴァルプルギスの夜に空を飛んで悪魔踊りに行った」という、そのものズバリの記述は、ようやく16世紀の魔女狩りの時代、捕らえられ裁判にかけられた「魔女」たちの自白に現れます。

 当時、人びとは特定の魔女のイメージを持っていました。「魔女の集会は夜ひらかれ、そこで魔女は悪魔と契約を結ぶ。宴会が始まり、幼児の肉を食べ、血を飲み、汚辱の食事を楽しむ。次はダンス、そのあと悪魔と性交し、乱交のかぎりをつくす」。まさに「ヴァルプルギスの夜」のイメージです。このような先入観を持った尋問官に「魔女」たちは自白させられたのです。(浜本隆志・柏木治『ヨーロッパの祭りたち』明石書店、2003年)

 しかし、すべての「魔女」が5月1日にブロッケン山に飛んでいったと話しているわけではありません。拷問に耐えかねた「魔女」が告白をする折にも、場所は自分の知っている近所の地名をあげ、日時や頻度もまちまちです。

 数ある「魔女の集会」の中でブロッケン山の「ヴァルプルギスの夜」がとりわけ有名になったのは、メディアの影響が大きいようです。17世紀には文学作品や論文によって広まり、18世紀初頭のハルツ地方の旅行ガイドブックには、ブロッケン山に関して「毎年ドイツ中の魔女がヴァルプルギスの夜に集まることは子どもでも知っている」と書かれています。

 そして、決定打は1808年に発表されたゲーテの『ファウスト第一部』でした。ドイツを代表する文豪ゲーテの作品に取り上げられたことにより、いわば「国民的行事」に格上げされ、世界に発信されます。

 そして、現代では記事冒頭の『小さい魔女』のみならず、日本のアニメやマンガによっても「ヴァルプルギスの夜」のイメージが拡大再生産されているのは、みなさんもよくご存じのとおりです。(徳岡知和子)