『万葉集』には、4500首以上の和歌が編纂(へんさん)されています。4500首でもかなり多い数ですが、この20倍以上の約10万首を一生涯で詠まれた方がいます。明治天皇です。明治天皇といえば、欧米列強による植民地支配の危機が迫った大変な時代に国家を背負われた方です。明治天皇がどのようなお気持ちで苦難を乗り越えられたのかが、御製(ぎょせい)から読み取れます。御製とは、天皇陛下が詠まれた和歌のこと。明治天皇の御製は、率直なお気持ちが詠まれている和歌が多く、国民のことを大御宝(おおみたから)として大事に思っていらっしゃることが伝わってきます。今回は厳選した6首をご紹介しましょう。
初めにご紹介するのは明治天皇の御製のなかで、特に有名な1首。日露戦争開戦時の明治37年(1904)に詠まれたとされるこの歌です。
よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ
(四方の海にある国々はみな兄弟だと思っているこの世の中であるのに、どうして波風が立ち騒ぐのだろうか)
つまり、開戦を避けることを求めています。日露戦争の講和条約斡旋を頼まれたアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領は、この御製を知り、世界平和を願う精神に感激したといわれます。また、昭和天皇も、大東亜戦争の開戦前にこの御製を引用して、開戦反対の意を示したといわれています。
「よもの海」という言葉を用いた和歌は、明治天皇以前にも多く詠まれていました。そのなかに「波」とともに詠まれた後醍醐天皇の1首があります。
よもの海 をさまりぬらし 我が国の 大和島根に 波しづかなり
(四方の海は平和に治まっているらしい。我が国日本は波も穏やかであることだ)
ちなみに「大和島根(やまとしまね)」は『万葉集』にもある言葉で、日本のことを指します。「明治大帝」ともいわれた明治天皇は、歴代天皇の御製や歴史を学ぶことで、国民のことを大切に想う大御心(おおみこころ)を育まれたのでしょう。
続いて、地方で詠まれた御製をご紹介します。江戸時代の天皇は生涯を京都の御所で過ごされることが多かったのですが、明治天皇は積極的に各地に行幸されています。国民とふれあうことや、国民の暮らしへの理解を深めることを大切にされたのです。
まぢかくも たづねし民の なりはひを こよひ旅ねの 夢にみしかな
(間近に訪れて聴いた国民の仕事のことを、今夜は旅寝の夢に見るよ)
畑仕事をする農民のつくろわぬ声を聴けたことを喜んでいらっしゃいます。さらに、ご自身の行幸が国民生活の負担になりはせぬかと気にかけていらっしゃる御製もあります。
草まくら 旅にいでては 思ふかな 民のなりはひ さまたげむかと
(旅に出る度に思うことだよ。民の仕事の妨げになっていないか心配だと)
大歓迎を受けながらも、このように気遣っていらっしゃいます。明治天皇の曾孫にあたります上皇陛下も、東日本大震災直後の被災地訪問では、現地の方々の負担にならないように「日帰り」を繰り返されています。国民を大切に思っていらっしゃることが伝わります。
ところで、「明治天皇と日露大戦争」という映画をご存知でしょうか。昭和32年(1957)に公開され、観客動員数は約2000万人。日本の映画興行史上の大記録を打ち立てたヒット作です。この映画には御製がたくさん織り込まれており、明治天皇が国民のことを大御宝だと大事に思われていることが伝わります。
日露戦争中、真夏なのに冬服で過ごされている場面があります。これは戦地の将兵の苦労をわかちあうためでした。劇中に次の御製が出てきます。
つはものは いかに暑さを 凌(しの)ぐらむ 水にともしと いふところにて
(将兵たちはどのようにして暑さを凌いでいるだろうか。水が乏しいというところにいて)
逆に冬場には、あえて寒さに耐えていらっしゃいます。
うづみ火も なにかもとめむ いくさ人 穴に寒さを ふせぐ思へば
(火鉢の炭火もどうして求めようか、いや求めない。兵士たちが穴を掘って寒さを防いでいるのを思えば)
こちらの歌も、東日本大震災での上皇陛下の御姿と重なります。電力の安定供給のために計画停電が行われた際、皇居のある千代田区は対象外だったのですが、自主停電されていました。国民の苦労をわかちあうためです。
最後に、何かに挑戦する際に、「この御製を詠めば勇気が湧いてくる」といえる和歌をご紹介します。
明治天皇の御製は、教訓歌のような生きるうえでのヒントとなる歌が数多くあります。冒頭にも書きましたが、明治天皇は欧米列強による植民地支配の危機が迫った大変な時代に国家を背負われた方です。常に自らを律しつづけられるにあたり、「こうでありたいものだ」という理想の心掛けを、ご自身に言い聞かせられているように感じます。
大空に そびえて見ゆる たかねにも 登ればのぼる 道はありけり
(大空に向かって高くそびえ立っている山の頂上であっても、登ろうとすれば、登る道はあるのだ)
どんな困難に見える逆境であっても、乗り越える方法は必ずある。ゆっくり味わいながら音読すると、胸の奥底から、ふつふつと勇気が湧いてきます。
以上のように、明治天皇の御製を詠むと、率直なお気持ちが伝わってきます。国民のことを大切にされた偉大なリーダーのお気持ちに触れると、日本人であることの誇りが増してくるのではないでしょうか。(平井仁子)
参考・引用文献:
『天皇歌人』堀江秀雄、明治書院、1953年
『和歌と日本文化』廣瀬誠、国民文化研究会、1991年
『天皇と和歌 国見と儀礼の一五〇〇年』鈴木健一、講談社選書メチエ、2017年
◆後醍醐天皇と明治天皇の「よもの海」
初めにご紹介するのは明治天皇の御製のなかで、特に有名な1首。日露戦争開戦時の明治37年(1904)に詠まれたとされるこの歌です。
よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ
(四方の海にある国々はみな兄弟だと思っているこの世の中であるのに、どうして波風が立ち騒ぐのだろうか)
つまり、開戦を避けることを求めています。日露戦争の講和条約斡旋を頼まれたアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領は、この御製を知り、世界平和を願う精神に感激したといわれます。また、昭和天皇も、大東亜戦争の開戦前にこの御製を引用して、開戦反対の意を示したといわれています。
「よもの海」という言葉を用いた和歌は、明治天皇以前にも多く詠まれていました。そのなかに「波」とともに詠まれた後醍醐天皇の1首があります。
よもの海 をさまりぬらし 我が国の 大和島根に 波しづかなり
(四方の海は平和に治まっているらしい。我が国日本は波も穏やかであることだ)
ちなみに「大和島根(やまとしまね)」は『万葉集』にもある言葉で、日本のことを指します。「明治大帝」ともいわれた明治天皇は、歴代天皇の御製や歴史を学ぶことで、国民のことを大切に想う大御心(おおみこころ)を育まれたのでしょう。
◆国民とふれあうことの喜び
続いて、地方で詠まれた御製をご紹介します。江戸時代の天皇は生涯を京都の御所で過ごされることが多かったのですが、明治天皇は積極的に各地に行幸されています。国民とふれあうことや、国民の暮らしへの理解を深めることを大切にされたのです。
まぢかくも たづねし民の なりはひを こよひ旅ねの 夢にみしかな
(間近に訪れて聴いた国民の仕事のことを、今夜は旅寝の夢に見るよ)
畑仕事をする農民のつくろわぬ声を聴けたことを喜んでいらっしゃいます。さらに、ご自身の行幸が国民生活の負担になりはせぬかと気にかけていらっしゃる御製もあります。
草まくら 旅にいでては 思ふかな 民のなりはひ さまたげむかと
(旅に出る度に思うことだよ。民の仕事の妨げになっていないか心配だと)
大歓迎を受けながらも、このように気遣っていらっしゃいます。明治天皇の曾孫にあたります上皇陛下も、東日本大震災直後の被災地訪問では、現地の方々の負担にならないように「日帰り」を繰り返されています。国民を大切に思っていらっしゃることが伝わります。
◆国民と苦労をわかちあって
ところで、「明治天皇と日露大戦争」という映画をご存知でしょうか。昭和32年(1957)に公開され、観客動員数は約2000万人。日本の映画興行史上の大記録を打ち立てたヒット作です。この映画には御製がたくさん織り込まれており、明治天皇が国民のことを大御宝だと大事に思われていることが伝わります。
日露戦争中、真夏なのに冬服で過ごされている場面があります。これは戦地の将兵の苦労をわかちあうためでした。劇中に次の御製が出てきます。
つはものは いかに暑さを 凌(しの)ぐらむ 水にともしと いふところにて
(将兵たちはどのようにして暑さを凌いでいるだろうか。水が乏しいというところにいて)
逆に冬場には、あえて寒さに耐えていらっしゃいます。
うづみ火も なにかもとめむ いくさ人 穴に寒さを ふせぐ思へば
(火鉢の炭火もどうして求めようか、いや求めない。兵士たちが穴を掘って寒さを防いでいるのを思えば)
こちらの歌も、東日本大震災での上皇陛下の御姿と重なります。電力の安定供給のために計画停電が行われた際、皇居のある千代田区は対象外だったのですが、自主停電されていました。国民の苦労をわかちあうためです。
◆ふつふつと勇気が湧いてくる歌
最後に、何かに挑戦する際に、「この御製を詠めば勇気が湧いてくる」といえる和歌をご紹介します。
明治天皇の御製は、教訓歌のような生きるうえでのヒントとなる歌が数多くあります。冒頭にも書きましたが、明治天皇は欧米列強による植民地支配の危機が迫った大変な時代に国家を背負われた方です。常に自らを律しつづけられるにあたり、「こうでありたいものだ」という理想の心掛けを、ご自身に言い聞かせられているように感じます。
大空に そびえて見ゆる たかねにも 登ればのぼる 道はありけり
(大空に向かって高くそびえ立っている山の頂上であっても、登ろうとすれば、登る道はあるのだ)
どんな困難に見える逆境であっても、乗り越える方法は必ずある。ゆっくり味わいながら音読すると、胸の奥底から、ふつふつと勇気が湧いてきます。
以上のように、明治天皇の御製を詠むと、率直なお気持ちが伝わってきます。国民のことを大切にされた偉大なリーダーのお気持ちに触れると、日本人であることの誇りが増してくるのではないでしょうか。(平井仁子)
参考・引用文献:
『天皇歌人』堀江秀雄、明治書院、1953年
『和歌と日本文化』廣瀬誠、国民文化研究会、1991年
『天皇と和歌 国見と儀礼の一五〇〇年』鈴木健一、講談社選書メチエ、2017年