2019.8.7 ドイツ
第2次世界大戦後、東西に分断されていたドイツは、1990年10月3日、統一しました。しかし、実は、冷戦時代のドイツに「西ドイツ」「東ドイツ」は、ありませんでした。それに相当する国はありましたが、ドイツではそう呼びませんでした。では、どういう名前だったのでしょうか。ドイツの国名事情についてお話ししましょう。
ドイツ語には英語とほとんど同じ綴り(つづり)で発音が違うという単語があります。中学高校で英語を勉強してきた日本の大学1年生は、ドイツ語の授業でも、どうしても英語を引きずった発音をしがちです。冷戦時代の学生の多くが間違えたのがRepublik(共和国)でした。英語のrepublicと「c」と「k」が違うだけですから、つい「リパブリック」と発音してしまうのです。すると先生(ドイツ人)が怒鳴ります。
「違います! レプブリーーーク!!!」
怒られても、また、違う学生が「リパブリック」と発音してしまうので、そのたびに「レプブリーク!!!」と怒号が飛びます。ほとんど毎回の授業で、こんな光景が繰り広げられました。
おそらく疑問に思われる方も多いでしょう。
「『共和国』なんて、そんなにしょっちゅう使う単語? しかも初級の会話で」
幸い、今のドイツ語学習者は以前ほど「共和国」を発音しなくても済むようになりました。しかし冷戦時代は、しばしば使わなければならなかったのです。なぜならドイツが東西に分かれていたからです。
私たち日本人は「西ドイツ」「東ドイツ」といっていました。日本だけでなく世界中の人びとがそう呼んでいました。しかし、ドイツ人だけは、そのようにいいませんでした。
「今は、東西に分かれているけれども、これは一時的な措置であって、いつかは統一する」
それが(少なくとも西ドイツ側の)建前でした。第2次世界大戦後まもなくは本当にそう思っていましたし、東西の分断状態が長く続き、再統一が非現実的と思われるようになっても、建前だけは維持していました。
では、それぞれの国のことをドイツ語でなんと呼んでいたかというと、正式名称から略していました。西ドイツは「ドイツ連邦共和国(ブンデスレプブリーク・ドイチュラント)」より「連邦共和国(ブンデスレプブリーク)」、東ドイツは「ドイツ民主共和国(die Deutsche Demokratische Republik)」の頭文字をとって「DDR(ルビ:デーデーエル)」です。
もちろん口語的表現などでは「西ドイツ」「東ドイツ」とまったくいわないこともなかったのですが、新聞、雑誌、本、論文、ニュースなど公式の場では「連邦共和国(ブンデスレプブリーク)」と「DDR(デーデーエル)」でした。
国名ですから、当時のドイツ語学習者にとって「ブンデスレプブリーク」は早々にマスターしなければならない必須単語でした。英会話の授業で「アメリカ」や「イギリス」をいわないのが難しいのと同じです。
ちなみにドイツのサッカーリーグ名「ブンデスリーガ」は「連邦リーグ」という意味です。「ブンデス〇〇」は、たいていドイツ全土を組織化したグループか国の機関です。ドイツの軍隊は「ブンデスヴェーア」といい、直訳すると連邦防御です。「軍」を明示する言葉は入っていません。「フォイヤーヴェーア(直訳:火防御)」が「消防隊」ですから、「ブンデスヴェーア」も気持ちは「自衛隊」と同じです。名前の心が同じでも、ブンデスヴェーアは正式な軍隊です。
日本の自衛隊が軍隊ではないのは、「軍」の字が入っていないからではなく、法整備ができていないからです。憲法ほかにおける言葉いじりより、実際に動ける組織にするほうが先決でしょう。もっとも外国語翻訳はわかりやすさを優先したほうがいいと思います。ブンデスヴェーアが「ドイツ連邦軍」と訳されているように。
話を戻します。現在、日本語ではかつての東西ドイツを指す場合に、単に「西ドイツ」「東ドイツ」ということはありません。「旧西ドイツ、旧東ドイツ」というように、前に「旧」などの言葉を加えて称することがほとんどです。しかし、今のドイツでは、「西ドイツ」「東ドイツ」がそのまま使われます。なぜなら、1990年にドイツが統一したから。皮肉な現象です。
日本語で考えると「西ドイツ」と「東ドイツ」が統一して「ドイツ」になったように感じられますが、ドイツ語では違います。今のドイツの正式名称は「ドイツ連邦共和国」です。つまり「ドイツ連邦共和国(西ドイツ)」と「ドイツ民主共和国(東ドイツ)」が一緒になって「ドイツ連邦共和国」になったのです。旧西ドイツと同じ国名「ブンデスレプブリーク・ドイチュラント」です。1990年のドイツ統一が、両国の対等合併ではなく、西ドイツによる東ドイツの吸収合併であることが、この国名からも伺えます。
そのようなわけで、「連邦共和国(ブンデスレプブリーク)」は、もはや統一ドイツを表す言葉ですから、これで「現在の西部ドイツ」を指すことはできません。DDRはなくなりましたから、それで「現在の東部ドイツ」のことを呼ぶわけにもいきません。それで「西ドイツ」「東ドイツ」というようになりました。それまで「西ドイツ」「東ドイツ」はなかったのですから、「旧」も「元」もつきません。ですから、ドイツ語で「西ドイツ」「東ドイツ」が公の文献・メディアに用いられるようになったのは、むしろ統一してからなのです。
なにはともあれドイツは、ソ連の混乱、冷戦の終結を、みごと統一に活かしました。「いつかは統一するのだ」という建前を持ちつづけ、ここ一番のチャンスを捕らえた末に出た真(まこと)です。それにひきかえ、わが国は、あの千載一遇のチャンスを活かせず、いまだに北方領土は返ってくる見込みがありません。戦後の日本の政治家や外交官には領土を取り返す気が、さらさらなかったとしか思えません。
(徳岡知和子:ブログはこちらhttps://blogmagnolia.com/)
●「違います! レプブリーーーク!!!」
ドイツ語には英語とほとんど同じ綴り(つづり)で発音が違うという単語があります。中学高校で英語を勉強してきた日本の大学1年生は、ドイツ語の授業でも、どうしても英語を引きずった発音をしがちです。冷戦時代の学生の多くが間違えたのがRepublik(共和国)でした。英語のrepublicと「c」と「k」が違うだけですから、つい「リパブリック」と発音してしまうのです。すると先生(ドイツ人)が怒鳴ります。
「違います! レプブリーーーク!!!」
怒られても、また、違う学生が「リパブリック」と発音してしまうので、そのたびに「レプブリーク!!!」と怒号が飛びます。ほとんど毎回の授業で、こんな光景が繰り広げられました。
おそらく疑問に思われる方も多いでしょう。
「『共和国』なんて、そんなにしょっちゅう使う単語? しかも初級の会話で」
幸い、今のドイツ語学習者は以前ほど「共和国」を発音しなくても済むようになりました。しかし冷戦時代は、しばしば使わなければならなかったのです。なぜならドイツが東西に分かれていたからです。
私たち日本人は「西ドイツ」「東ドイツ」といっていました。日本だけでなく世界中の人びとがそう呼んでいました。しかし、ドイツ人だけは、そのようにいいませんでした。
「今は、東西に分かれているけれども、これは一時的な措置であって、いつかは統一する」
それが(少なくとも西ドイツ側の)建前でした。第2次世界大戦後まもなくは本当にそう思っていましたし、東西の分断状態が長く続き、再統一が非現実的と思われるようになっても、建前だけは維持していました。
では、それぞれの国のことをドイツ語でなんと呼んでいたかというと、正式名称から略していました。西ドイツは「ドイツ連邦共和国(ブンデスレプブリーク・ドイチュラント)」より「連邦共和国(ブンデスレプブリーク)」、東ドイツは「ドイツ民主共和国(die Deutsche Demokratische Republik)」の頭文字をとって「DDR(ルビ:デーデーエル)」です。
もちろん口語的表現などでは「西ドイツ」「東ドイツ」とまったくいわないこともなかったのですが、新聞、雑誌、本、論文、ニュースなど公式の場では「連邦共和国(ブンデスレプブリーク)」と「DDR(デーデーエル)」でした。
国名ですから、当時のドイツ語学習者にとって「ブンデスレプブリーク」は早々にマスターしなければならない必須単語でした。英会話の授業で「アメリカ」や「イギリス」をいわないのが難しいのと同じです。
ちなみにドイツのサッカーリーグ名「ブンデスリーガ」は「連邦リーグ」という意味です。「ブンデス〇〇」は、たいていドイツ全土を組織化したグループか国の機関です。ドイツの軍隊は「ブンデスヴェーア」といい、直訳すると連邦防御です。「軍」を明示する言葉は入っていません。「フォイヤーヴェーア(直訳:火防御)」が「消防隊」ですから、「ブンデスヴェーア」も気持ちは「自衛隊」と同じです。名前の心が同じでも、ブンデスヴェーアは正式な軍隊です。
日本の自衛隊が軍隊ではないのは、「軍」の字が入っていないからではなく、法整備ができていないからです。憲法ほかにおける言葉いじりより、実際に動ける組織にするほうが先決でしょう。もっとも外国語翻訳はわかりやすさを優先したほうがいいと思います。ブンデスヴェーアが「ドイツ連邦軍」と訳されているように。
●現在のドイツの正式名称は「ドイツ連邦共和国」
話を戻します。現在、日本語ではかつての東西ドイツを指す場合に、単に「西ドイツ」「東ドイツ」ということはありません。「旧西ドイツ、旧東ドイツ」というように、前に「旧」などの言葉を加えて称することがほとんどです。しかし、今のドイツでは、「西ドイツ」「東ドイツ」がそのまま使われます。なぜなら、1990年にドイツが統一したから。皮肉な現象です。
日本語で考えると「西ドイツ」と「東ドイツ」が統一して「ドイツ」になったように感じられますが、ドイツ語では違います。今のドイツの正式名称は「ドイツ連邦共和国」です。つまり「ドイツ連邦共和国(西ドイツ)」と「ドイツ民主共和国(東ドイツ)」が一緒になって「ドイツ連邦共和国」になったのです。旧西ドイツと同じ国名「ブンデスレプブリーク・ドイチュラント」です。1990年のドイツ統一が、両国の対等合併ではなく、西ドイツによる東ドイツの吸収合併であることが、この国名からも伺えます。
そのようなわけで、「連邦共和国(ブンデスレプブリーク)」は、もはや統一ドイツを表す言葉ですから、これで「現在の西部ドイツ」を指すことはできません。DDRはなくなりましたから、それで「現在の東部ドイツ」のことを呼ぶわけにもいきません。それで「西ドイツ」「東ドイツ」というようになりました。それまで「西ドイツ」「東ドイツ」はなかったのですから、「旧」も「元」もつきません。ですから、ドイツ語で「西ドイツ」「東ドイツ」が公の文献・メディアに用いられるようになったのは、むしろ統一してからなのです。
なにはともあれドイツは、ソ連の混乱、冷戦の終結を、みごと統一に活かしました。「いつかは統一するのだ」という建前を持ちつづけ、ここ一番のチャンスを捕らえた末に出た真(まこと)です。それにひきかえ、わが国は、あの千載一遇のチャンスを活かせず、いまだに北方領土は返ってくる見込みがありません。戦後の日本の政治家や外交官には領土を取り返す気が、さらさらなかったとしか思えません。
(徳岡知和子:ブログはこちらhttps://blogmagnolia.com/)