【源氏物語で見る平安時代6】姫とは「直立してはならぬ」人

2020.10.2 源氏物語
 平安時代の中期、西暦1000年頃に成立した日本古典の傑作『源氏物語』には書かれた目的がありました。教育です。当時、物語と呼ばれるものは基本的にすべて、政略的資産であるがゆえにこそ実地に世間を知らずに育つ上級貴族の姫に、世の中はこういうふうにできている、ということを教えるための教材でした。

 とはいえ、姫が物語を読むわけではありません。姫は「寝そべって」物語絵を見ながら、女房が本文を読んでいくのを聞きます。『源氏物語』はもちろんのこと、文字で書かれた物語はすべて女房用の読み上げ台本でした。

「寝そべって」というところがけっこう大事です。平安京の姫は1日のほとんどをゴロゴロして過ごしました。だから疲れず、夜ふかしで、清少納言の『枕草子』がしょっぱなにいう「春はあけぼの」ということにもなるのです。

 しかし、この「ゴロゴロ」こそは、平安の姫のたしなみでした。そして、ゴロゴロしていなかったことで『源氏物語』では珍しい大事件を起こしてしまうのが物語中盤のラスボス的キャラ、女三宮(おんなさんのみや)です。

◆姫は常に「座っていらっしゃる」ものだった


 女三宮は、光源氏の腹違いの兄・朱雀院(すざくいん)の第3皇女。内親王です。出家することになった朱雀院が、娘の行く末が心配だというので、16歳そこそこの女三宮を光君に嫁にとらせます。光君は40歳を過ぎていました。

 光君の大邸宅・六条院にはご存知、光君最愛の女性・紫の上がいました。しかし、女三宮は二品(にほん=律令制の親王の位階第2等)に上がるべき内親王。いくら光君に愛されているとはいえ紫の上は格が及ばず、女三宮が光君の正妻、六条院の女王ということになってしまうのは必定です。

 紫の上の最大の苦悩がここに始まります。しかし紫の上は健気(けなげ)にふるまいます。時に光君をちくりとたしなめる様子も描かれる、紫の上ここにあり、ともいうべき帖が有名な「若菜・上下」。源氏キャラ人気投票No.1が常に紫の上であるのは、この帖に理由があります。

 そしてまた紫の上の苦悩の様子は、当時の結婚制度が、よくいわれるように一夫多妻「制」などではなく一夫一妻「制」だったことを明らかに示しているといえるでしょう。

 さて、女三宮は光君にとって、《(朱雀院は)どうしてこう間伸びのした育て方をなすったのであろう、それにたいへん御秘蔵の姫宮であると聞いていたのにと、物足りなく》感じる人でした。過保護で幼いのです。光君は、紫の上を育て上げた自らの腕を自慢に思うほどでした。

 女三宮は失敗をやらかします。六条院に若い公達(きんだち)が集まり、蹴鞠(けまり)に興じていました。女三宮のいる部屋でも、御簾(みす。宮殿で用いるすだれ)越しに、女房たちがその様子を見物しています。2匹の猫が飛び出します。追われた小さい猫が御簾の上げ紐にからまって御簾が上がり、女三宮のいる部屋のなかが丸見えになりました。

《几帳(きちょう)の際からやや奥の方へはいったあたりに、袿姿(うちきすがた)で立っていらっしゃる人があります》

 几帳とは、姿を隠す衝立(ついたて)のようなものです。袿は、十二単の簡略版です。立っていたのは女三宮です。これが大失敗でした。「立っていらっしゃる」のがマズイのです。

 姫は常に座っているものでした。座っているときには片膝を立てます。移動するときには膝でいざって動きます。たとえば、末摘花(すえつむはな)は不細工キャラを一手に引き受けさせられてはいますが皇族令嬢であり、光君の前に姿を見せるよう老女房たちにいわれて《どうやら身づくろいをしていざり出てこられる》のです。

 直立している姫様が『源氏物語』に登場するのは、この女三宮のシーンくらいだといわれています。女三宮は、立ち上がって、蹴鞠の公達たちを直に見物していました。ダメです。姫様は几帳の裏にいて、女房から様子を伝聞するものです。女三宮の評価は《内外の用意に欠けたところのある幼いお方は、お可愛らしいようでも頼みにならない》ということになります。

◆立っている姿を見られたのも「宿世」?


 この女三宮の姿を見て恋い焦がれてしまったのが、蹴鞠の公達のなかにいた柏木という若者でした。柏木は光君の親友・頭中将(とうのちゅうじょう、当時は太政大臣を引退)の長男であり、光君の実子・夕霧の親友です。

 柏木が見た女三宮は《ほっそりと、小柄なので、お召物の裾(すそ)が長くひいていて、姿格好、髪のふりかかっている横顔など、言いようもなく上品で可愛らしい》のでした。柏木は女三宮を口説いて契り、女三宮に不義の子を産ませてしまいます。この子が、『源氏物語』後半「宇治十帖」の主人公、薫(かおる)です。

 実は、柏木が使う女三宮への口説き文句から、当時の平安貴族の世界観がわかります。柏木は女三宮を抱き寄せて、こんなことをいいます。

《やはりこうして逃れられない深いおん宿世(すくせ)があったのだとお諦めなさいませ。自分ながらも正気ではなかったような気がいたします》

 宿世とは仏教の教えで、前世の因縁、宿縁という意味です。平安貴族は宿世絶対主義で、前世の因縁があって今がある、と考えていました。だからどうにも仕方がない、という考え方なのですが、それほど深刻な問題かというと、これが実はそうでもないようです。

 浮舟という女性に会わせろという薫の君と、浮舟の世話をしている尼僧との間に、こんな会話のやりとりがあります。

《かように参り合わせたのも浅からぬ宿縁ですと、お伝えになってください》
《出し抜けに、いつからそんな宿縁ができていらっしゃいましたのやら》

 方便として使われる宿世もあるということくらい、みんなわかって暮らしていたということです。(尾崎克之)

【参考・引用文献】
『源氏物語評釈』玉上琢彌、角川書店、1964年
『潤一郎訳源氏物語』谷崎潤一郎、中央公論社、1973年
『源氏物語手鏡』清水好子、森一郎、山本利達、新潮社、1975年