ドイツの2000年前~ドイツ史の曙はライン地方にあり!

2020.10.13 ドイツ

◆ドイツの2000年前!?~ドイツ史の曙はライン地方にあり!


「ボンには2000年の歴史があります」――ボンとは西ドイツの首都だった、ライン河沿いの町です。

 これを聞いたときには、一瞬、「ドイツ人よ、お前もか。どこかの国みたいなことをいわないでくれ!」と思いましたが、そこは腐ってもドイツ人。いい加減なことはいいません。ちゃんと根拠がありました。

◆2000年前、この辺に何があったのでしょう?


 もちろん「ドイツ帝国」の設立が1871年ですから、「ドイツ」は大変に新しい国です。「神聖ローマ帝国」までさかのぼっても、せいぜい1000年の歴史しかありません。

 では2000年前、この辺にいったい何があったのでしょうか。

[ヒント]
(1)大きな国です。
(2)「2000年の歴史」を誇っているのは、ドイツのなかでも西部の町々です。
(3)ライン河が流れています(下図赤線がライン河)。



 答えは、ローマ帝国。ライン河は国境線です。

 ラインの東は野蛮人のゲルマニア、西はローマ帝国の属州ゲルマニア、つまり、ライン西岸はローマ帝国の最前線です。河沿いにローマの軍団基地が設けられました。ケルン、ボン、コブレンツ、マインツなど、ライン左岸の主要都市はローマの築いた都市・軍団基地から発展したところです。これら各都市の博物館ではローマ時代の発掘物が見られます。

◆ネロの母を生んだケルン


 このうち日本人の観光ルートにも入っていそうなのはケルンでしょうか。ローマの植民都市コロニア・クラウディア・アラ・アグネッピネンシウム(Colonia Claudia Ara Agrippinensium)の「コロニア」がなまって「ケルン」になったことはよく知られています。属州低地ゲルマニアの州都です。ちなみに有名な暴君ネロの母はケルンの生まれです。

 ケルンは世界遺産となっている大聖堂が有名ですが、そのすぐ横にローマ・ゲルマン博物館があります。古代ローマの彫刻やタイルなどが展示してあり、そこがドイツであることを忘れそうになるほどローマしています。

http://www.roemisch-germanisches-museum.de/Startseite
 ケルンをはじめ、現代ドイツの町に残るローマ時代の遺跡は残念ながら少ないですが、よく探すと水道管の跡などが見られます。

◆ローマの町を再現(!)するクサンテン


 一方、ローマの町を再現しようとしているのが、オランダとの国境にも近いクサンテンです。現在の町があまりに小さいので、先に挙げた「主要都市」のなかに並べておりませんが、ローマ時代の都市部がまるごと野外博物館になっています。いまのところ、だだっ広い空き地に円形競技場や浴場、神殿跡などの遺跡がところどころ残っている状態ですが、そのうち完全に復元されるかもしれません。ウン十年後が楽しみです。

 他の都市はローマの町の上に現代の町がありますから、今ある建物を壊すわけにはいきません。しかし、クサンテンは、現在の町がごく小さく、ローマ時代の町と完全にずれていますから、お金とやる気さえあれば、そのようなことも可能です。

 下図はクサンテン考古学公園(Archäologischer Park Xanten)のサイトより、左はローマ時代(2世紀)、右は現在です。


https://apx.lvr.de//de/lvr_archaeologischer_park/parkerweiterung_1/parkerweiterung.html

 ローマ帝国最大領土を現出したトラヤヌス帝が建設した町で、彼にちなんでコロニア・ウルピア・トライアーナ(Colonia Ulpia Traiana)と名づけられました。

◆ドイツ最古の「コンスタンティヌス帝の町」


 また、現在の都市にローマの遺跡が多数残っているのはトリーア(コロニア・アウグスタ・トレヴェロールムColonia Augusta Treverorum)です。

 ライン河からは外れますが、「ドイツ最古の町」を売りにしています。ライン河の支流モーゼル河畔の町で、ルクセンブルクとの国境近くにあり、ローマ時代の所属州はゲルマニアではなくベルギカでした。

 紀元前17年にローマ人が「橋をかけた」記録があり、それを持って町の起源としているようです。ケルンの場合、建設年がはっきりしないようですが、紀元前後にその起源があるらしいので、とりたててトリーアがケルンに比べて古いわけではありません。ただ、ケルンでは、ローマの遺跡はガイドブックを見ながら丹念に探さないと見つかりませんが、トリーアでローマの遺跡を見逃すことはまずありません。

 下の写真はポルタ・ニグラ(Porta Nigra)、文字通り「黒い門」で、いかにもローマの建造物です。観光客は、まず、これを見てから町に入ります。


https://www.planet-wissen.de/natur/fluesse_und_seen/die_mosel/pwietrierroemernrebenundkarlmarx100.html

 そして、カイザー・テルメン(↓)ほかの浴場、円形競技場などが、よく残っていて、その多くが世界遺産に登録されています。


https://www.trier-info.de/sehenswuerdigkeiten/kaiserthermen

 遺跡の保存状態がいいのは、おそらくコンスタンティヌス帝の町だからでしょう。コンスタンティヌスといえば、キリスト教を公認したことで知られる皇帝です。皇帝に就任して後にコンスタンチノープル(ビザンチウム、現イスタンブール)に遷都しますが、権力を掌握し1人皇帝になる前は、複数いる皇帝の1人としてトリーアを根拠地にしていました。

 教会史的には、それ以前のローマ皇帝はキリスト教を迫害した「悪い皇帝」、コンスタンティヌスはキリスト教を保護したので「いい皇帝」です。そのコンスタンティヌス帝ゆかりの建物が多いので、その後も「異教」のものとして悪魔化されることなく残っていると考えられます。

 しかし、コンスタンティヌスのキリスト教公認は313年、西ローマが滅ぶのは476年ですから、コンスタンティヌスの時代には、もう中世に入りかけています。

 ケルンは、第5代クラウディウス帝や建設者アグリッパ(初代皇帝アウグストゥスの側近・親友・将軍)の名を冠する、帝政ローマ初期の町。クサンテンは、五賢帝の1人トラヤヌス帝の名を冠する、盛期ローマの都市。そしてトリーアは、建設起源は古くともキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝が拡充した町、つまり混乱期ローマの町なのです。

 ケルンやクサンテンの遺跡・展示物には古典古代のローマ帝国を感じますが、トリーアには写実性に重きを置かない中世的な雰囲気の作品も目立ちます。

◆ドイツ史の曙はラインラントにあり!


 日本の「ドイツ史」は、最初は神聖ローマ帝国史、後に、プロイセン史になるので、どちらの中心からも離れているライン地方はほとんど扱われません。そして、戦間期の1936年、「ラインラント進駐」で突然、その名が出てくるのですが(ラインラント=ライン地方)、実はドイツ最古の歴史を持つ、見どころの多い地域なのです。

 なお、トリーアはライン河沿いではありませんが、「ラインラント」に含まれます。ライン河の支流モーゼル河沿いも含めて「ライン・モーゼル地方」という呼び方もあります。

 なお、ライン地方の「町々」が2000年の歴史を誇ろうと、それを拡大解釈して「ドイツ2000年」などと、さすがにドイツ人はいいません。そんなことをいったら笑われるだけです。(徳岡知和子)