【平井基之の東大入試でわかる歴史のツボ1】『万葉集』の歴史的意義とは?

2020.6.20 万葉集
「令和」という元号が、史上初めて、漢籍ではなく国書の『万葉集』が典拠になり、話題になりました。これによって起こったのが空前の万葉集ブーム。編者の大伴家持や、引用された箇所の歌を詠んだ大伴旅人にまつわる地など、ゆかりの場所では観光客が急増しました。

 しかし、その『万葉集』とは一体何なのか?そして日本の文化においてどのような意義があるのでしょうか? 『万葉集』の「いろは」を高校生レベルの基礎から探っていきましょう。

◆山川出版社の教科書の記述では?


 『万葉集』といったら、はじめに何を思いつくでしょうか? 「日本最古の和歌集」と思いついた方も多いと思いますが、意外や意外、教科書にはそのような記述がない場合もあります。

 山川出版社の高校検定教科書を引用しますので、探してみてください。天平文化(奈良時代の文化)のページにこう書いてありました

「和歌では、山上憶良・山部赤人・大伴家持らの歌人が現れ、漢詩文の影響を受けながら、個人の感情をうたう叙情の表現が発達し、『万葉集』に収められている。一方で、東歌や防人歌など、東国を中心とする農民の素朴な感情を表した歌も多く収録されている。日本語を書き記すため、漢字の音と訓を組み合わせた万葉仮名が用いられた」とあります。

 また、万葉集に付せられた注釈には「『万葉集』の編纂(へんさん)過程は複雑で不明な点が多いが、公的な事業で大伴家持が関わったと考えられている」とあります。

 このように、高校レベルの知識だとしても、『万葉集』についてそれほど多くありません。ただし、実はこれでも多いほうなのです。同じ奈良時代に作られた『古事記』の記述量は、これの半分程度にすぎません。教科書では「手厚い待遇」をされているのです。

 しかし、これでは『万葉集』の歴史的意義が十分にわかりません。ということで、東京大学の入試問題では、どのように扱われているのか見てみましょう。

◆東大入試は、『万葉集』で何を問うたか?


 入試問題を見る前に、まずは東大の日本史の問題について簡単に説明をしておきます。日本史のテストというと、年号を答えさせたり、人物名を答えさせたりと「暗記テスト」のイメージが強いかもしれませんが、東大入試ではそうではありません。

 例えていうなら、普通の日本史のテストが

Q聖徳太子が604年に作ったのは何でしょう?
A憲法十七条

 というものだとしたら、東大入試は

Q聖徳太子はなぜ憲法十七条を作ったでしょう?

 というように、歴史の背景や歴史的意義などを考察して記述させるのです。

 しかも、ただ単に暗記してきたものを記述させるだけではなくて、何らかの資料が与えられて考えさせる問題が頻繁(ひんぱん)にでます。つまり、資料が与えられる分だけ、東大の主張が見え隠れするのです。

 それを踏まえて、2004年の東大日本史第1問を見てみましょう。(一部改編)

《次の年表を読み、下記の設問に答えなさい》

57年:倭の奴国の王が後漢の光武帝から印を授かる(『後漢書』東夷伝)
239年:魏の明帝、親魏倭王とする旨の詔書を卑弥呼に送る(『三国志』魏書)
4~5世紀:百済から和迩吉師(わにきし)が渡来し、『論語』『千字文』を伝えたという(『古事記』)
471年カ:稲荷山古墳出土鉄剣の銘文が記される
478年:倭王武が宋の皇帝に上表文を送る(『宋書』倭国伝)
607年:遣隋使小野妹子が隋の煬帝に国書を届ける(『隋書』倭国伝)
701年:大宝律令が成立。地方行政区画の「評」を「郡」に改める
712年:太安万侶が漢字の音訓を用いて神話等の伝承を筆録した『古事記』ができる
720年:編年体の漢文正史『日本書紀』ができる
751年:『懐風藻』ができる
8世紀後半:『万葉集』が編集される
8~9世紀:この時代の各地の国府・郡家などの遺跡から木簡が出土する
814年:嵯峨天皇の命により、最初の勅撰漢詩文集『凌雲集』ができる
905年:醍醐天皇の命により、勅撰和歌集『古今和歌集』ができる
935年頃:紀貫之,最初のかな日記である『土佐日記』を著す
11世紀:紫式部、『源氏物語』を著す

[設問]
古代の日本列島に漢字が伝えられ、文字文化が広まっていく過程の歴史的背景について、政治的動向にもふれながら、180字以内で説明しなさい。なお、解答には下に示した語句を一度は用いなさい。

・国風文化 ・勅撰漢詩文集 ・唐風化政策 ・渡来人  ・万葉仮名

◆『万葉集』は日本の文字文化の出発点だ


 注目するところは、指定語句の最後です。「万葉仮名」を必ず使って記述せよ、とありますが、万葉仮名は『万葉集』特有のキーワードです。つまり東大は日本人が使用してきた文字の種類の歴史を問うていると見て、大きく外れないでしょう。

 そう思ってみると、資料の712年に『古事記』が成立した部分を見てみると、わざわざ「漢字の音訓を用いて」と文字の説明がありますし、720年の『日本書紀』のところには「漢文」で書かれたと明記されています。また、『土佐日記』は「最初のかな日記」と仮名文字が使われたことも明記されていますから、やはり「文字」についてふれないわけにはいきません。

 ご存じの通り、漢字は大陸から伝わった文字ですが、現在のわれわれは漢字以外にも平仮名や片仮名も同時に使っています。その過渡期にあたるのが『万葉集』なのです。

 資料から、『万葉集』以前は漢字を使って書かれているが、『万葉集』で初めて日本独自の「仮名」が使われるようになったと読み取れます。また、かな日記である『土佐日記』は国風文化という、日本独自の文化が大きく花開いた時代のものです。

 このようなことを踏まえると、『万葉集』が仮名文字の文化の出発点であるし、日本独自の文化の源流にあたるのだということがわかってきます。教科書では読み取れないことが、東大に入試問題を読み解くとわかってきます。(平井基之)