【学びの巨人・本居宣長を知る3】盲目の息子・本居春庭を突き動かしたもの

「世の中を動かすには、書くか、話すか」。これは受け売りの言葉ですが、本当にそうだと感じます。実際に、書く力も話す力も一流だったために世の中を動かすことができた人物をご紹介します。江戸時代中期に『古事記』を世の中に広めた本居宣長です。

◆「学問ほど面白いものはない」


「色々遊びも尽くしたが、学問ほど面白いものはない。」
「ため息が出るほど面白い。」

 先生をしているなら人生に1度はいわれたい言葉です。弟子たちにここまで絶賛されていたのは、「学者」の本居宣長でした。学者、つまり「書く」プロが同時に「しゃべり」としても超一級の評価をされていた天才が、本居宣長なのです。

 さらにいえば、本居宣長の本業は町医者です。学者ではありません。昼間は町医者として働き、合間に『古事記』の研究、さらに空いた時間で講義をして、弟子たちの心を動かしていました。

 もちろん、話す方だけでなく、書く方でもエピソードに事欠きません。ある人は宣長が書いた本を読んだ途端、どうしても宣長に会いたくてたまらなくなり、夜通し歩いて松阪まで来ました。その距離、なんと100キロです。

 また、宣長が書いた『古事記伝』は時の光格天皇にも読まれ、天皇の実の兄や紀州徳川家にも呼ばれて講演しています。かなりの売れっ子の作家・講演者です。

 弟子は全国に約500人。もちろんTVやインターネットがない時代にこの影響力です。しかも、宣長がいたのは江戸や大阪ではなく、松阪。今の三重県ですから、弟子を集めるのにベストポジションというわけではありませんでした。

 ちなみに、宣長は通信販売もやっています。印刷された肖像画にサインを書いて遠方のお客さんに販売していました。熱心なお弟子さんは、その肖像画の掛け軸の前で勉強していました。

『古事記伝』を発表し、日本人に神話のすばらしさを思い出させた、というのが本居宣長の一般的な印象ですが、その実態は、書いて良し、しゃべって良し、医者としても良し、ついでに商売をしても良し、と非常に多才な人物だったのです。

◆一番期待していた弟子


 さて宣長が多くの弟子のなかで一番期待していたのは、長男の本居春庭(もとおり・はるにわ)でした。春庭は宣長が賀茂真淵と出会った年に生まれました。小さい頃から、志に燃える情熱的な父親の背中を見て育ち、「父上のような学者になろう!」と夢見て、細かい出版の作業なども一番手伝っていました。宣長も春庭に期待し、13歳から英才教育を行っていました。

 しかし、春庭が29歳のとき、春庭に悲劇が訪れます。「あれ、なんだかぼやけて見える。目が疲れたかな。そのうち治るだろう」と思ったのですが、どんどん視力が悪化します。医者である宣長はなんとか治してあげたいという気持ちでいっぱいです。ただ医者とはいえ、自分の力ではどうしようもない。まずは、尾張にある眼科専門の治療院に連れていき、治療に専念させます。しかし残念ながら、3カ月たっても症状は良くならず、退院となります。その後、大阪に腕の良い眼科が来ていると聞くと、大阪に行かせました。治療のための最善を尽くします。けれども全ては徒労に終わりました。春庭は32歳の若さで失明してしまいました。

 宣長は医者であるにも関わらず、長男の失明を防ぐことができなかったことに、無力さを感じたことでしょう。桜を見ることも、愛する家族の笑顔を見ることもできなくなってしまった春庭。もう本を読むこともできません。しかし、なんとかして、学問を続けさせてやりたい。「春庭よ。お前は鍼医(はりい)になるのだ。鍼灸師(しんきゅうし)を仕事として、学問を続けるのじゃ」と説得しようとするけれど「もう学問なんかできないですよ。」とあきらめようとします。しかし、あきらめる気持ちは、春庭の本心でしょうか。本当は続けたい気持ちを、「もののあはれ」を知る宣長はわかっています。「もののあはれ」とは情(こころ)のことです。(詳細は別のコラムをご参照ください。)

「もののあはれ」を知る人は、本心に寄り添うのです。最初は反発していた春庭も、宣長が愛情を持っていてくれていることに気づき、心が揺れ動きます。そして宣長の影響で、本心に寄り添える妹がいいます。「私が兄さんの目となります」。

 弟や妹の助けもあり、春庭は鍼灸師として仕事を得られるようになりました。「あぁ、私はなんて周りの人に恵まれているのだろう。私にできることをやっていこう!」と前向きになっていきました。

◆「動詞の活用」~春庭の大きな功績


 春庭には身体的なハンデキャップができてしまいましたが、そのマイナスを補って余りあるほどの武器がありました。それが抜群の記憶力です。たとえ目が見えなくても、記憶力でカバーすることによって、並みの学者では果たせない業績を残します。特に皆さんになじみのあるのが、古典文法でしょう。
「こ/き/く/くる/くれ/こよ」カ行変格活用。学生時代の古典の勉強で、文法に苦しめられた方も多いのではないでしょうか。この「動詞の活用」の研究で大きな成果を上げた人こそが、本居春庭です。つまり皆さん、本居春庭によって、苦しめられたということになります。

 このように春庭が学者として成果を出すことができたのは、もちろん春庭の努力と才能によるものに違いありません。しかし、その裏には「もののあはれ」を知る宣長の存在が大きく影響を与えました。「もののあはれ」を知る父親だったからこそ、絶望に打ちひしがれる息子の心に寄り添い、励まし、希望を与えることができたのです。(平井仁子)

参考・引用文献:
『宣長にまねぶ』(吉田悦之、致知出版社、2017年)
『鈴せんせい』(小泉祐次、松阪青年会議所、1991年)
『新版 本居宣長の不思議』(公益財団法人 鈴屋保存遺蹟保存会 本居宣長記念館、2013年)