【源氏物語で見る平安時代の暮らし2】近江から来た姫様はアイドル志向でバクチ好き

 日本の古典の傑作の一つ『源氏物語』(西暦1000年頃より成立)にはおよそ500人を数える人物が登場します。とはいえ主要人物は、はっきりと光源氏(ひかるげんじ)との男女関係が書かれた女性13名を含んで数十名ほど。脇役とチョイ役だらけの『源氏物語』と言ってもいいでしょう。

 物語ではあっても『源氏物語』に描かれている人々の生き方、暮らし方、考え方などは平安時代当時の現実です。それは時に、『源氏物語』の脇役とチョイ役のちょっとしたふるまいやセリフからこそ見えてきます。今回は知る人ぞ知る脇役、実は隠れファンもたくさんいるはずの「近江の君(おうみのきみ)」という、いわゆる地方女子キャラを取り上げて、平安時代の現代っ娘というものを見ていきましょう。

◆「いじられ役」の近江の君



 『源氏物語』が成立した平安時代中期、当時の貴族つまり政治家の野心はまず自分の娘を宮中に入れることでした。皇子を授かって皇室の外戚となり、朝廷の人事を掌握するのが目的です。

 こうした、いわゆる後宮作戦は葛城(かつらぎ)氏(5世紀)、蘇我(そが)氏(6~7世紀)、藤原氏(8世紀~)と、当時すでに500年間ほど続く日本の政界の伝統でした。

 光君は桐壺帝(きりつぼてい)の第2皇子ではあります。しかし、高麗(こうらい)から来朝した人相見学者の予言にしたがって6歳の時に皇族の籍から離され、「源氏」の姓で臣籍降下していました。つまり、光君の出世の条件は基本的には他の貴族と横並びです。

 光君は政治家として後宮作戦を展開します。そのいくつかは成功しますが、光君が35歳の時に養女にした「玉鬘(たまかずら)」の作戦は失敗します。髭黒(ひげくろ)と呼ばれるなんとも男むさい妻子持ちの近衛府(このえふ)長官が、光君の目を盗んでものにしてしまい、妻にされてしまいました。

 ちなみに、平安時代は一夫多妻「制」ではありません。当時の法制度は現代と変わらず一夫一妻「制」です。これは『源氏物語』の物語展開の一つのキーポイントでもあるのですが、平安時代の結婚や財産相続などについては別の機会に譲りましょう。

 さて、光君がこの「玉鬘」作戦を敢行しようとしている時のことです。後れをとってはならん、とあせった人物がいました。光君の親友にしてライバルの内大臣(物語序盤では頭中将〈とうのちゅうじょう〉)です。引き取って宮中入り要員とすべき落とし胤(おとしだね=いわば隠れ子)をあちこち探させたところ、近江の地(今の滋賀県大津市あたり)で見つかったのが「近江の君(おうみのきみ)」でした。

 近江の君は「いじられ役」です。いわば芸能界(宮中)デビューの話につられて上京(平安京)してきた女の子で、やる気まんまん。何事にも積極的ですが、早口でおしゃべりがうるさく、「さし過ぐる」(出過ぎる)。つまり、ウザいこと、このうえありません。

 行儀習いに内大臣の親族の屋敷にやられますが、宮中に上がるためなら下女(げじょ)仕事もする、おほみおほつぼ(便壺)の世話だって何だってする、などとふれ回って親戚義兄弟から嫌われます。

 そのくせ、なれなれしくしないでよ、私はこれからビッグになる人なのよ、などと言うものだから、なお嫌われます。さらには勉強だけはやたらとしてきていて、意味不明ながら古今集(こきんしゅう)や後撰集(ごせんしゅう)あたりの引用だらけの和歌を続けてばりばり詠むことができ、こんなところも嫌がられます。

◆「双六(すごろく)マニア」という設定は当てつけ?



 面白いのは、かといってこんな近江の君を『源氏物語』の作者・紫式部は決して嫌いではない、むしろ好きらしい、というところです。「顔つきに、親しみやすい愛嬌(あいきょう)があって、あけすけにふざけていますところは、それはそれとしてあどけなくて、罪がありません」、「紅というものを、ひどく真っ赤にくっつけて、髪を梳(す)いてお身づくろいをなさいますと、それ相応に花やかで、愛嬌があります」などと書いています。

 しかし、近江の君は結局、宮中に上がることはありませんでした。周囲に嫌われたままで物語から姿を消します。なぜなら、近江の君が「双六(すごろく)」マニアだったからです。物語の中で近江の君は、双六をやっている姿で登場し、双六をやっている姿で消えます。

 双六は平安時代を代表するバクチでした。今で言うバックギャモンのようなゲームです。麻雀的な勝負賭博(とばく)で、平安京の社会問題の一つになっていました。

 今の警視庁のような役割の検非違使庁(けびいしちょう)から平安京内の役人に対して、あらためて賭博取り締まりに力を入れろ、と命令した長元8年(1035)の文書が残っています。「最近の京中では、素行の悪い連中が、仲間を集めて徒党を組んでは、好んで双六などの賭博を行っており」「治安の乱れはこれ以上にないほどひどくなっている」とあります。

 これだけ聞くと、双六はもっぱら庶民ないし、ぎりぎり、たとえば近江の君を育てた地方官僚程度の下流貴族がやるバクチだったように聞こえます。しかし、実はそうでもないようです。

 歴史物語『大鏡』(平安時代後期成立)の「内大臣道隆」の項にこんな一文があります。「お二人のバクチの双六は、打ちはじめなさると、だんだん興(きょう)に乗って来られ、お二方とも、肌ぬぎになり、衣服を腰にからませなさって、夜中までも時のたつのを忘れて熱心になさるというふうでした」。

 この「お二人」の内の一人は時の摂政関白太政大臣(せっしょうかんぱくだじょうだいじん)・藤原道長です。藤原道長と紫式部は同時代人です。紫式部の日記によると、道長は『源氏物語』をリアルタイムで読んでいます。

 官僚トップの道長ないし上流貴族も大好きだった双六バクチを、嫌われ役の近江の君に結びつけて登場させているのは当てつけの皮肉でしょう。そして同時に近江の君については愛嬌たっぷりに描いて今で言う炎上をかわしているところなど、紫式部の物語の腕はやはりたいしたものです。(尾崎克之)

参考・引用文献:
『源氏物語評釈』玉上琢彌、角川書店、1964年
『潤一郎訳源氏物語』谷崎潤一郎、中央公論社、1973年
『庶民たちの平安京』繁田信一、角川学芸出版、2008年
『大鏡 全現代語訳』保坂弘司、講談社、1981年