「臣民」から考える日本の国柄~中国や欧州の伝統との違い

2020.10.23 日本

◆「臣民」から考える日本の国柄~中国や欧州の伝統との違い


 現在では、「臣民」という言葉に耳なじみのある方は、けっして多くないと思います。いまは一般に「国民」という言葉が使われていますが、戦前は「臣民」といっていました。そのため「臣民」は、「天皇主権下で自由のなかった日本国民」「臣民という言葉で天皇から国民は支配されていた」というネガティブなイメージで語られることも多い言葉です。ところが実は、日本の皇室と国民の絆を表す言葉でもあったのです。

◆現在も使われている「臣民」という言葉


 戦前、大日本帝国憲法(以下、帝国憲法)下の日本では、日本国民を表す言葉として「臣民」という言葉が使われていました。日本ではすっかり死語になってしまいましたが、現在も、たとえば英語では、君主国における君主の統治下の国民を指す言葉として「臣民(subject)」が使われます。君主国の英国では、現在でも「英国民」のことを「英国臣民(British subject)」と表します。

 明治時代の日本は、近代化を進めるなかで列強諸国と対等に外交をするべく、近代憲法典の制定を急ぎました。帝国憲法制定の中心となった伊藤博文はヨーロッパの列強国、特に日本と同じ君主国であった英国やプロイセン、オーストリアなどの近代憲法を学びます。列強国の憲法を参考にしながら、日本の歴史・伝統・文化に基づく近代憲法典として、帝国憲法を制定しました。

 帝国憲法を作るなかで、「subject」の日本語訳として「臣民」という言葉を選びます。しかし、戦後、日本国憲法を制定する時には、GHQ(連合国軍総司令部)が日本政府に対し、ことさらに国民主権を要求します。このため、「臣民」という言葉が廃止され、現代は一般的に使われなくなったのです。しかし、「臣民」という概念自体は、世界の歴史から考えると、とても近代的な意味を持っています。

◆儒教国家や欧米諸国に「臣民」という発想はなかった


 もともと、儒教国家(主に中国)や欧米諸国において「臣民」という発想はありえませんでした。

 アジアを代表する儒教国家である中国は、漢の武帝から辛亥革命後の中華民国まで、儒教が国教でした。実は、儒教においては「臣民」という言葉もなければ、概念もありません。なぜなら、中国においては、「臣」と「民」とは明確に峻別されてきたからです。

「臣」とは役人(官僚)のことをいい、「民」とは一般民衆のことをいいます。中国の歴史上、臣と民とでは、天地の開きがありました。名誉、権力、富(を得るチャンス)…何もかも、臣は、民よりも勝(まさ)っている存在でした。臣は統治し、民は統治される立場だからです。

 立場の違いから、臣と民はあるべき理想の姿も異なります。臣には非常に高い倫理道徳規範が要求される一方で、民には、そこまでの倫理道徳を求めても仕方がないという考え方です。「臣」と「民」とでは、存在自体が天と地程も違うのです。だから、日本のような「臣民」という単語も発想も成り立ちません。

 また、ヨーロッパの絶対王政国の伝統においても「臣民」という言葉は成り立ちませんでした。特権貴族である「臣」は、一般人である「民」よりも「王」に近い存在でした。「王・臣」とそれに支配される「民」という構造の社会が、絶対王政下のヨーロッパだったのです。「王・臣」と「民」では、使う言葉も違っていました。もちろん、価値観もまったく別です。

「王・臣」「民」が同じ国の国民としてヨーロッパでまとまり始めたのは、18世紀末から19世紀初頭のナポレオン戦争の頃です。「王」をギロチン台に送ってしまったフランス革命の混乱期を経て、国自体の存続の危機に陥ったフランスでは、臣と民が一体となり、「国民軍」としてナポレオン戦争を戦い抜きました。国民軍を率いたナポレオン・ボナパルトは、自身が皇帝となります。国民全体が一つの歴史を共有している、つまり、国家体制を共有している国を「国民国家」といいます。ナポレオン戦争によって、ヨーロッパではやっと国民国家が成立したといわれます。

◆日本は『万葉集』の時代から国民国家


 日本は、7世紀末に編纂(へんさん)された『万葉集』の時代から、すでに国民国家でした。天皇から庶民まで、同じ日本語を使って歌を詠み、天皇から庶民までが詠んだ歌が同じ本に収録されたのです。日本にも貴族の存在はありましたが、貴族も天皇に仕える一国民でした。天皇から見たら、「臣」の貴族も、「民」の平民も、みな同じく日本国民です。また、歴史的に天皇が主権者として人民を抑圧するようにふるまったことはありません。だから臣も、意味もなく民を虐げてはいけなかったのです。

 昔から「天皇」と「臣・民」という国家体制を共有する国民国家であった日本は、現在に至るまで天皇と臣民がともに国を創ってきました。このような、君主である天皇と、国民が一致団結して国を治めてきた日本の国柄のことを「君民共治」といいます。

 近代ヨーロッパで初めてできた国民国家は、日本においては建国以来、当たり前の発想だったともいえるでしょう。その発想を表す言葉が、まさに「臣民」の二文字なのです。

 世界の歴史と比べると、「臣民」という概念自体、すぐれて近代的であるということがよくわかります。皇室と国民の絆は、日本人が建国以来、現代まで受け継いできた国柄なのです。世界の国々のように革命などで多くの血を流さなくても、最初からこうした国柄だったというのは、とても素晴らしいことですね。(三松毛 司)