「元号」は誰がどのように決めてきたのか?

2019.4.10 日本 儀式 元号
 元号は、普段の生活のなかで、とても身近なものです。日々の暮らしから、公的機関の文書、日本史などまで、社会の広い領域にわたって、ごく自然に使われています。しかも、元号は、時代を表す言葉としても使われます。普段の会話のなかで、誕生日の生年を元号で表現すると、「昭和生まれ」や「平成生まれ」など「世代」という意味も含まれた言葉として、相手に伝わります。

 ところで、これまで「元号」は、誰が、どのように決めてきたのでしょうか。その歴史には、「何としても、良い元号を選びたい」という真剣な営みの積み重ねがあったのです。

◆西暦、イスラム暦、元号……


 日本で、公文書の正式な紀年法に元号を用いるようになったのは、大宝元年(701)の大宝律令からです。

 年数を数える紀年法は、元年となる起点をどこに定めるかによって様々な数え方があります。

 現在、広く使われている「西暦」は、キリスト教の伝統に則って、イエス・キリストが生誕したとされる年を元年としています。また、イスラム諸国では、イスラム教を創唱した預言者ムハンマドがメッカからメジナへ移った年(西暦622年)を元年としたイスラム暦(ヒジュラ暦)が用いられます。

 一方、「元号」は古代中国で歴代皇帝の即位を元年とする慣習から発生しました。

 初めて「元号」を定めたのは、中国の武帝といわれています。武帝は西暦紀元前141年から54年にわたり前漢を治めた皇帝です。当時、武帝に仕えた歴史家の司馬遷によれば、それまでは単純に、即位の年から1年、2年……と数えられていたことについて、役人から「天瑞に因(ちな)んで命名すべき」と進言され、採用したといいます(所功、久禮旦雄、吉野健一『元号 年号から読み解く日本史』文春新書、2018年)。天瑞は、自然現象のなかに現れる「おめでたい」とされる徴(しるし)のことです。

 これまで「元号」を用いてきたのは、日本、中国、朝鮮、ベトナムでしたが、日本以外の国では革命などが起こり、現在、実際に社会で用いているのは日本だけです。

◆「文章博士」の大切な役割


 日本の元号は、縁起のよい嘉字が撰ばれるのはもちろんのこと、典拠を漢籍(中国の古典)に求めることが長い間の慣例となってきました。元号を定める手続きは、元号が制度化されて以降、次第に固まっていき、平安時代には確立しました。

 まず、天皇から大臣が改元の勅命を受け、実務担当者に命じて、使用する漢字を選ぶ手続きを始めます。実務を管轄するのは、大学寮を擁する式部省です。

 式部省は律令制で設置された八省(中央官庁)のひとつで、儀式や人事査定などの事務を司る重要な役所です。総責任者の大臣のもと、式部大輔が現場責任者となり、学者が嘉字の候補を選びます。式部大輔は、現在でいうと省庁の事務次官のようなものです。

 字を選ぶ「撰字」を行う学者は、大学寮で教授職に就いている「文章博士」です。大学寮は中央官人の養成を目的に設置された高等教育機関で、儒学のほか、算術や書など技術的な教育も行われました。

 文章博士として有名なのは、菅原氏です。律令制の最盛期にあたる淳和(じゅんな)天皇の代始改元(新しい天皇の御代が始まるにあたって改元すること)のとき、元号の勘申者(かんじんしゃ=朝廷の儀式などについて、先例・典故・吉凶・日時などを調べて上申する人)の一人に菅原清公(すがわらのきよとも)の名前があります。

 この頃は、行政運用の基本法である律令の法解釈を一本化し、「令義解(りょうぎのげ)」がまとめられた時代で、文官が重用された平和な時代です(倉山満『国民が知らない 上皇の日本史』祥伝社新書、2018年)。菅原清公、是善(これよし)、道真(みちざね。天神様で有名です)と三代にわたって文章博士を輩出し、「菅家廊下(かんけろうか)」と呼ばれる学派を確立しました。

 文章博士は、大学寮で講じている経書(儒教の典籍)をもとに新元号の候補を選び、典拠をつけて大臣に報告します。もっとも多く出典とされているのが『尚書(書経)』、次いで『周易』、『文選』や『後漢書』、『漢書』『詩経』『史記』『晋書』などです(山本博文『元号 全247総攬』悟空出版、2017年)。

 明確な出典が記録に残されているのは、10世紀半ばの「延長」からですが、それ以前の元号も漢籍を参照したと推測されています。最近の例では、「明治」は『周易』『孔子家語』、「昭和」は『書経』、「平成」は『史記』『書経』が出典です。

 候補となる漢字を選ぶときには、過去に同じ元号がないか、また選んだ漢字が使われた時代に不吉な事例が伴わないかも考慮されました。

◆「元号」はいかに撰定されてきたか


 こうして選ばれた元号案は、摂政・関白や左右大臣が列席する会議にかけられ、批判や答弁が行われ、候補を絞り込みます。会議に列席する高位の公卿や参議は、代々朝廷の儀式を司ってきた世襲の家系です。先例などから、天皇の御代にそぐわないと思われる元号案が除かれると、元号案は天皇に奏上され、天皇が最終候補を示します。

 このときに、もし天皇が適切な候補がないと思えば、独自の案や過去に採用されなかった元号案から、逆に提案することもあったといいます。

 天皇を筆頭に、「有職故実(ゆうそくこじつ)」は朝儀(ちょうぎ=朝廷の儀式)を司る大臣の必須教養です。儀式や先例を研究し、精通している人を「有識」といい、先例や法慣習を「故実」といいます。典拠となるのは皇族や公卿が残した日記をはじめとする記録類です。元号の撰定は、学問だけではなく、儀礼や歴史の事例に照らして適切か不適切かを判断されるのです。その判断ができる人を有識者と呼びます。

 こうして最終候補が下されると、再び大臣らの会議によって最終決定のうえ、新しい元号が詔書によって公布されました。

 学問を背景として、先例や慣習に則った正しい手続きで定めることは、天皇や朝廷の正統性を裏付ける意味もありました。歴史学者の岡田英弘氏は「伝統」の本来の意味を「正統を伝えること」としています(岡田英弘『誰も知らなかった 皇帝たちの中国』ワック、2006年)。これを千年以上にわたって続けてきたのが、現代の日本です。

 日常生活で身近に使っている「元号」も、歴史の膨大な積み重ねを経て、現代に至っているのです。「伝統」は途切れてしまったら、それを回復するのは大変なことです。よくよく考えておきたいことですね。(細野千春)