【平井基之の東大入試でわかる歴史のツボ2】「大日本帝国憲法」はなぜ祝福されたか

 選挙のたびに、さまざまな論点が持ちあがりますが、そのなかに「憲法改正」もあります。しかし、本当に憲法改正ができるのでしょうか? 世論調査などでは、憲法改正を求める声も高まっていますが、選挙で国民の同意は得られるのでしょうか?
 
今回は、東大入試から憲法問題について考えてみましょう。

◆「憲法改正」はどちらに転がっても不満噴出?


 もし、今後「憲法改正」が実現すれば、日本国憲法下で初となります。では、憲法改正は本当に実現するのでしょうか? するとしたら、その内容はどうなのでしょうか?

 日本では戦後、長期にわたり憲法論議がなされてきました。9条を改正して軍隊を持つべきだという論に対し、戦争の反省から軍隊は持つべきではないとする論。この両者は一切交わることなく、議論は平行線。お互い1歩も譲りません。

 しかし憲法とは国民全体に影響を及ぼすものです。改憲したとして、どちらに転がっても不満が出ることは間違いないでしょう。こんな様子では、本当に憲法改正できるのかと疑問にも思えてきます。

 しかし、日本の歴史には憲法改正どころか、「憲法作成」を成し遂げた歴史があります。
本日は、東大入試からその歴史を振り返ってみましょう。

◆東大入試は「大日本帝国憲法」発布で何を問うたか?


 前回も説明しましたが、もう一度東大入試について書いておきましょう。東大入試はいわゆる「暗記テスト」ではなく、すべて論述形式の問題です。単語を答えるのではなく「なぜ」とか「背景は」などと聞かれます。しかも資料つきです。つまり、与えられた資料や、設問の作り方で東大の主張が見えてくるのが面白いところなのです。

 では今回は2014年の東大日本史第4問です。(一部改編)

《次の文章を読んで,下記の設問A・Bに答えなさい》

 1889年2月、大日本帝国憲法が発布された。これを受けて,民権派の植木枝盛らが執筆した『土陽新聞』の論説は、憲法の章立てを紹介し,「ああ憲法よ、汝(なんじ)すでに生れたり。吾(われ)これを祝す。すでに汝の生れたるを祝すれば,随(したが)ってまた、汝の成長するを祈らざるベからず」と述べた。さらに、7月の同紙の論説は、新聞紙条例、出版条例、集会条例を改正し、保安条例を廃止するべきであると主張した。

[設問]
A:大日本帝国憲法は,その内容に関して公開の場で議論することのない欽定憲法という形式で制定された。それにもかかわらず民権派が憲法の発布を祝ったのはなぜか。90字以内で説明しなさい。

B:7月の論説のような主張は,どのような根拠にもとづいてなされたと考えられるか。60字以内で述べなさい。

◆国民に祝福されて誕生した「大日本帝国憲法」


 1889年、日本で初めて西洋式の憲法である「大日本帝国憲法」が発布されました。もちろん、この成立過程でも激論が交わされています。

 ただし、そもそも日本には近代憲法がありませんでしたから、「改憲」と「護憲」の議論ではありません。「納得のできる憲法」ができるかどうかです。つまり、憲法が完成したとしても、ちょっとでも不満があれば反対が巻き起こる状況といえるでしょう。

 そして、もう1つ違いがあります。それは問題文にもあったように「公開の場で議論することのない」まま発布されたことです。

 現行憲法であれば、国民の代表である国会議員の3分の2以上の賛成と、国民投票によって改憲が実現しますが、当時は国民の意見が反映される制度すらありません。伊藤博文を中心とする少数で作成されました。

 たったこれだけでも、現在の憲法改正よりも「国民の祝福」という面では厳しい状況だというのがわかるでしょう。

 しかし、大日本帝国憲法は国民から誕生を祝福されて誕生しました。しかも、ことあるごとに伊藤博文ら新政府の人間を「有司専制」と批判していた民権派にまで祝福されたのです。

 植木枝盛の「ああ憲法よ、すでに生れたり。吾これを祝す。すでに汝の生れたるを祝すれば、随ってまた、汝の成長するを祈らざるベからず」という文章は、憲法作成を祝福しているどころか、その成長まで祈っています。まるで、わが子が生まれたかのような溺愛ぶりです。

 これはなぜなのか、というのが東大の問いです。

 ちなみに、憲法改正を掲げていた第2次安倍内閣誕生は2012年の年末で、この問題が出題されたのは2014年2月、つまり約1年後の出題です。「お前なんかに、俺らを納得させられる憲法が作れるのか?」というメッセージととらえるのは、深読みでしょうか。

◆憲法改正には「憲法観の同意」が必要だということ


 大学受験レベルの一般的な解答としては、「個人の自由や権利が十分に保障され、公選制の衆議院が設けられていたこと」などが中心になるでしょう。もっと端的にいえば、民権派の要望を反映した憲法だったからです。

 しかしその背景には、「憲法観の同意」があったのが大きいのではないでしょうか。

 当時、日本の存続のためには憲法作成が必要であること、そして「五箇条の御誓文」の精神に従い国民の議論による議会設立が必要であること、などが当然の認識としてありました。これは、作成者の伊藤博文も民権派も変わりありません。憲法によって日本の未来を発展させようという強い意志がありました。

 だから、昨日まで伊藤博文と戦っていたような民権派も、先進的な憲法の誕生を喜び、祝福したのです。

 一方、現在の日本はどうでしょうか? 憲法問題の本丸は9条ですが、軍隊を持つかどうかの合意すらないまま、お互いの議論が1度もかみ合わず時間ばかりが経っています。国民の大半は憲法問題に無関心で、一部の人が相手へのダメ出しをしているような状況です。これで、大日本帝国憲法の成立時のような「祝福」がやってくるでしょうか?

 憲法改正するには、国民的な憲法観の同意が必要なのです。(平井基之)